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北守のおぼえがき

2009-10-08

かわいそうです

21:51

昔、ある哲学系のゼミに出たのですが、それは哲学プロパじゃない人も参加していたこともあって、専門的な哲学をやるんじゃなくて、ある問題についての自由闊達な議論の中で、でてきた概念やキーワードを論じながら、思想家を使えるところはつかっていく、という形式を取っていました。

授業の形式が徹底的に自由なことでとまどう場面も多かったですが、なかなか有意義な授業だったと思います。

で、そこにはある哲学プロパの学生が参加していました。

彼は、思想家の名前が議論の中で出てきたとたん、いきなり喋りだし、その人の経歴をそらんじながらその人の思想的変遷を延々と述べる。

10分くらい独演会が続いたところで先生が、「長いからそのへんでまとめて・・・」と打ち切ると、「まだ三分の二しか終わっていません!」

もちろんその人にとっては重要なことだったのかもしれないし、ある思想家の思想は厳密にいえばその人の経歴と無縁ではない。

ただ、その授業のテーマに対して、その10分の演説がどれだけ本質的だったかは謎でした。

断っておくと、その人はとても優秀な学生で、書いたものは(僕は知識がないこともあってよくわかりませんでしたが)とてもよくできたものだったらしいです。

その学生は、その授業の形式についていけなくてゼミをやめました。

「さまざまな概念が、あまりにも軽々しく扱われているのががまんならん」

という理由らしいです。

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091008/p2

そういうものを一度学んでしまうと、学ぶ前の「単純な算数」にはもう戻れないんですよ。頭の中の「数」の概念が置き換わってしまうから。

そういうものを一度学んでしまうと、学ぶ前の「単純な算数」にはもう戻れないんですよ。頭の中の「数」の概念が置き換わってしまうから。

そういうものを一度学んでしまうと、学ぶ前の「単純な算数」にはもう戻れないんですよ。頭の中の「数」の概念が置き換わってしまうから。

というわけでいいたいのは、「単純な算数」にそって理解してくれ、という要求は、相手によってはものすごく難しいものに感じられるんですよ、ということです。

もちろん、この人にとっては難しいことは分かってましたが。

この人は、他人の文章中にあるコトバや観念について、自分の頭の中にあるコトバや観念に置き換えて「しか」文章を読めないかわいそうな人です。

http://d.hatena.ne.jp/flurry/20080313#p2

ある意味、究極のオレサマ主義といえなくもないです。ただ、まともなコミュニケーションは望めないでしょうが。

ところで、この心性はネットウヨクのそれと非情に近しいものがあります。

南京事件FAQを読んでさえ否定論に固執するのは、意地になってるだけなのかな、と多くの人は思うわけですが、何を読んでも自分の頭の中にある概念というフィルタをかければ決して理解に達することができないわけですから、本人の観念の中でもずっと無敵でいられるというわけなのでしょう。

e_p_ie_p_i2009/10/08 23:10>この人は、他人の文章中にあるコトバや観念について、自分の頭の中にあるコトバや観念に置き換えて「しか」文章を読めないかわいそうな人です。

「しか」で留保を付けてますけど、基本、人間って自分の頭の中にあるコトバや観念に置き換えてしか考えられないと思いますよ。
他国語を習った人の中で、出来の良い人は母国語以外も思考言語に出来ているのかもしれませんが、私なんかは日本語でしか考えられませんし(単語レベルでなら部分部分外国語も混じりますが)、多くの人がそうだと思います。特殊な才能を持った人以外にとって、新しいイメージというのはなかなか身に付かないものなのではないのでしょうか? それを見ぬふりをして「かわいそうな人」で終わらせるのは、言説としても揶揄としても問題があるのではないかと思います。
いやまぁ、id:hokushuさんが「どんな人間でもいかなる概念も即座に理解出来るよ」という考えをお持ちでしたら、私としては何も言う事は無いのですが…違いますよね? だとしたら、相手に理解出来る様な表現にする必要があると思います。対話する意思があるのなら。あるのなら。
私から見ると、「id:NaokiTakahashiを議論の輪から外してー」みたいな意思を感じちゃうのですがね…。まぁ杞憂かもですが。

hokusyuhokusyu2009/10/09 12:30>人間って自分の頭の中にあるコトバや観念に置き換えてしか
そりゃそうかもしれませんが、
たとえば誰かが「愛」という言葉を文章で使っていたとして
 
1この「愛」とは自分の知っている言葉で置き換えると「××」だろうか?それとも「●●」だろうか?それとも「××」の「▽」という部分と「●●」の「○」という部分が組み合わさって・・・
2この「愛」とは自分の知っている「愛」とは違う。理解できない。
 
っていうのは違うわけです。

>「相手に理解出来る様な表現にする必要がある」
ぼくのブログの読者が何人いるか知りませんが、一人一人、持ってる概念は違うから、「相手に理解出来る」ためには読者の数だけ文章を書かなければいけません。そこまでする必要はないと思います。
まあ、自分にしかわからない文章を書いてはダメだと思いますが、(地下猫さんなど)自分と思想が違う人もふくむ多くの人から現実には理解いただいているので、「理解できないのぼくのせいなの?」って思っちゃいます。
一般的には、作者が読者にあわせるんじゃなくて読者が作者にあわせる(テクストにそって読む)のが先だと思うんですけど。

NaokiTakahashiNaokiTakahashi2009/10/09 18:55http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091008/p2#c1255079069
この解釈であってますか?

BigHopeClasicBigHopeClasic2009/10/10 00:50>作者が読者にあわせるんじゃなくて読者が作者にあわせる(テクストにそって読む)のが先だと思うんですけど。

ときどき、hokushuさんが「なにをやりたい」のかがよくわからなくなることがあります。
暴力的に簡略化すれば、日本社会の構成員の半数は平均より「あたまのわるい」人です。
で、hokushuさんのおっしゃる内容は、「あたまのよい」人よりはむしろ、「あたまのわるい」人にとってこそ有意義なことなのであって、hokushuさんご自身も、「あたまのわるい」人が「あたまのよい」人に少しでも近づくことが、hokushuさんにとって望ましいことであると想像します。
そうであるならば、ここは当然、作者が読者に合わせるのが戦術的に正しいと思うのです。

もちろん、学問の場においては、読者(弟子)が作者(師匠)に合わせなければ、読者の側の成長はありえませんから、hokushuさんのおっしゃることに一分の誤りもありませんが。

hokusyuhokusyu2009/10/11 04:12>平均より「あたまのわるい」人です。
「あたまのわるさ」に平均がどうとか、何か意味があるんでしょうか。
はっきりいってどうでもいいと思いますね。
少なくともそのような「ニワトリと米粒」的な意味で米粒にアウトソーシングする目的で「あたまわるい」は使ってません。
 
>もちろん、学問の場においては、読者(弟子)が作者(師匠)に合わせなければ、読者の側の成長はありえませんから、hokushuさんのおっしゃることに一分の誤りもありませんが。
これは逆だと思うんですけど。師弟関係ならばこそ、ぼくはむしろ師匠の側が弟子に合わせて指導する責任があると思います。
 
で、別にぼくはブログで師弟関係を持ってないし、教導を目的にもしていないし、戦略的な意味でのプロパガンダでも別に無いわけですから、読者の「自己責任」でがんばってもらいたいですね。別に無理に読まなかったところで罰があるわけでもないのですから。

TangieTangie2011/11/15 11:21A bit surprised it seems to simple and yet uesufl.

TangieTangie2011/11/15 11:23A bit surprised it seems to simple and yet uesufl.

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