真の東京シューレ / The Real Tokyo Shure Army, RTSA / あっちはニセモノなので、Schuleになっちゃった このページをアンテナに追加 RSSフィード

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23-10-2009

物理的暴力/構造的暴力

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 一連の議論を 追っていない。というか、左翼側のエントリーは それなりに 読んでいるが、逆側のエントリーは ほとんど まじめに よんでいない。流れとは ずれるかもしれないけど、これまでも別ブログで くりかえしてきたことを くりかえしておきたい。

 排外主義者の物理的暴力は、ただそれだけが 独立して 存在しているわけではない。埼玉県蕨(わらび)市におけるカルデロンさん一家への攻撃を思いだそう。あれの、なにがどのように 問題なのか? もちろん、暴言は暴言として、差別行動は差別行動として、非難されるべきである。

 しかし、在特会はじめ一連の「行動する保守」の暴力をとりわけ 有害ならしめていたのはなにか? 言うまでもなく、日本国家の入管政策である。もし、そもそも 国外退去などという 冷酷無比が なかったのであれば、そしてそれを支える 日本社会に蔓延する排外主義がなければ、あの行動も 「ただのへんなひとたち」の見せ物でしかなかったかもしれない。実際、モンティ・パイソンのスケッチには次のようなものがある。


 ここでは、生き残ったヒトラーがイギリスに 潜入し、ナチス再建をきして、くだらない 「演説」に 必死になる姿が、ほとんど「ピエロ」として 描かれている。もちろん実際のイギリス社会は 深刻な人種主義を いまだ 克服しえていない。だが このコメディ・スケッチは、「極右」の暴力が 実質的な問題となるか いなかは、その 多くを 文脈に おっていることを しめしている。

 さて、では問いを かくだいしよう。在特会の暴力は、いかなる文脈に おいて 有害となるのか? 日本国家の人種主義政策と 社会の排外主義においてである。この意味で、物理的暴力は、構造的暴力を必要としている。あるいは、構造的暴力が物理的暴力に 暴力としての有効性を 保証する。

 しかし、さらに 問わなければならば ならない。構造的暴力は、何によって 保証されるのか? この問いには、次のような 反実仮想が ヒントを 与えてくれるかもしれない。もし仮に、カルデロンさん夫妻が 国外退去を拒否し、あくまでも この国に 留まることを 主張し続けていたとしたら どうだろう? 日本政府は、ソフトな言辞で「説得」を 続けていただろうか? もちろん そんなことは ない。彼らは 物理的暴力によって 引きづり出されていたことだろう。ちがいが あったとしても、ほんの数日の 時間かせぎにしか ならなかっただろう。 逆に 彼らの帰国が 穏やかに 行われる映像は、そのような 「別の選択肢」が 招いていたであろう 物理的暴力を 予期させるものであった。

 つまり、構造的暴力と物理的暴力は それぞれに 独立して そんざいするのではない。また、前者は 後者の不当な拡張であるとの 非難も 無効である。むしろ両者は、相互を包み込み合うようにして、補完し合いながら機能しているのだ。

 だから主要な敵は、在特会ではない。おりしも、先の総選挙では 改憲勢力が圧倒的勝利をおさめた。小泉選挙が 偶然であったとしても、今回の民主党の圧勝は、日本の右傾化を確実に推し進めていくだろう。それは、在特会の、警察の、入管の、「国民」の暴力の 実害をも 増大させる。それゆえにこそ、一部暴力団体の「わかりやすい」醜態だけを 切り離して 問題にすることは 許されない。排外主義の暴力は、さまざまな形態をとりながら、さまざまな要素がからみあいながら、関係の総体として 存在する。「在特会」を非難して 反日を掲げない者は、自らの矛盾を 問うべきである。また逆に、「在特会」に反対することは、すなわち日本国家・国民・社会を 否定するということでなくてはならない。すなわち、戦後社会の 暴力と非暴力の合作である「永遠の嘘」という自己欺瞞と 決別しなくてはならない。

 さらに一言つけくわえよう。先の東京都知事選において、石原慎太郎をファシスト規定し、二番手の浅野史郎に投票しないものは 石原を支持しているものも同然、という恫喝が、山口二郎を中心としてなされた。近い将来、彼は言い出すかもしれない。「在特会」を絶対に容認してはならない。「在特会」「よりまし」な選択肢として、石原慎太郎のもとに結集しようと。それはジョークとしても、日本国家の暴力がいかに分散して、しかし支え合って、対立しながら共存して この社会を覆い、外国人にいかなる脅威となっているかということを 理解しておくことが 重要だ。


関連エントリー

「「民主主義よ、お前はもう、死んでいる」——グアンタナモ化した政治と敵対性の外部化について」


「永遠の嘘をついてくれ」——「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット

前編: http://d.hatena.ne.jp/toled/20070726/

後編: http://d.hatena.ne.jp/toled/20070727/


p.s. 1 このような 暴力のとらえかたは、なにも 「はてサ」が とつぜん おもいついたものではない。数百年前からの常識である。だって、ちょっと 考えれば すぐに わかることじゃん。


p.s. 2 物理的暴力と構造的暴力の メビウスの輪的な 連関を描いた作品として、↓を強く おすすめします。

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